記述のポイント

 ここでは,主語目的語という文法関係(grammatical relation)について,用語の導入と特徴づけを行っておく。文法関係は,文中の名詞句が述語に対して持つ文法的な(格標示や統語的振る舞いに関する)関係のことである。主語のほか,目的語も文法関係と言われる。

 方言の文法記述において,主語や目的語,とりわけ主語を,文法関係としての用語であることを明確にしておくことは極めて重要である。というのも,方言研究では一般に,主語といえば「主体」(出来事を基準にした表現),「動作主」(意味役割を基準にした表現),「主格」(格体系を基準にした表現),「主題」(情報構造を基準にした表現)などと同義として扱われるか,これらのレベルにまたがっている漠然としたものとして扱われるからである。言うまでもなく,上記の4つのレベルのいずれかに言及すれば済むのなら,当該方言の記述において主語という用語は不要である(この点について,標準語に関して議論しているものとして柴谷1978角田1991を参照)。

 また,上記4つのレベルにまたがっている漠然とした単位として「主語」​という用語を使うことは,記述の単位としての性格を失い,より一般的なカバータームということになるから(例えば「行為」「出来事」などと同じ程度の用語),一般言語学的な意味で使っている他の研究者にとって紛らわしく,当該方言記述者と読者の双方にとって意味がない。主語や目的語という用語を使うならば,文法関係としての用語として,明確にしておく必要がある。

主語と意味役割および格標示の関係

今,標準語の文法記述を行なっていると仮定する。以下の3つの文において,主語は全て「太郎」であると言われる。

  1. 太郎が花子を殴った(わけがない)

  2. 太郎が花子に殴られた(わけがない)

  3. 太郎に花子が殴れない(わけがない)

 

 文法関係の重要な特徴は,名詞句の意味役割と独立しているという点である。(1)から(3)で,主語の意味役割は全て異なる。(1)の「太郎」は動作主(agent),(2)の「太郎」は被動者(patient),(3)の「太郎」は経験者(experiencer)である。よって,「主語とは動作を行う者である」という,意味レベルによる一般化は成り立たない。

 上記3例において「太郎」が主語とされる根拠は,文中におけるこの名詞句が述語の尊敬語化をコントロールするからである。すなわち,「太郎」が尊敬対象の場合,文中の動詞を「お殴りになる」という風に尊敬語化できるが,「花子」が尊敬対象の場合,そのようにすることはできない。ここで注目されるのは,主語の格標示である。確かに主語は主格標示されることが普通であるが,(3)では与格標示されている。標準語の主語の認定において,その格標示があくまで二次的な特性だと考えられるのはそのためである。

 このように,日本語(標準語)の場合は主語と意味役割,主語と格標示は明確に独立していると考えられる。しかし,言語によっては,文法関係と格標示がより密接に関連している場合もある。例えばドイツ語やスペイン語では,主語は主格標示と動詞の一致のコントロールという2つの特性で定義されるが,「見る」などの経験者構文では,経験者が与格標示され,しかもこの名詞句は動詞の一致を引き起こす力を失う。すなわち,格標示と統語的振る舞いが連動しており,与格標示された名詞句を主語とは呼べなくなる。

 

主語の言語個別性

​ 個別言語の文法記述において,文法関係としての主語や目的語を積極的に設定すべきかどうかは自明のことではない。文法関係が設定しやすい言語と,そうではない言語がある。

 文法関係としての主語を設定しやすい言語は,すでに見たドイツ語やスペイン語などのように,主語と呼ばれる名詞句の格標示と統語的振る舞いが連動しているような言語である。また,多様な文に対して統語的振る舞いのチェックが可能な言語である。例えば動詞の一致という統語的振る舞いは,日本語の尊敬語化に比べれば幅広い述語に適用されるであろう。逆に尊敬語化は,(1)(2)(3)のような人間を主語にとる文には適用できるが,「猿が逃げた」「ガラスが割れた」のような文には適用できない。よって,尊敬語化を重視する限り,「猿」「ガラス」が主語であるという主張は弱められる。

 文法関係を見出しやすい言語においては,格標示や統語的振る舞いが連動しているだけでなく,これらが意味役割と比較的はっきりと分離している。しかし,言語・方言によっては,格標示や統語的振る舞いが意味役割と深く結びついていることがある。例えば,南琉球の与那国語では,日本語のガと同根のngaという格があるが,これは主語一般ではなく動作主だけを標示する(よって,「茶碗が割れた」のような文でngaをつけられない)。このような言語の場合,主語という単位を認めるかどうかは,もっぱら統語的振る舞いにかかっていると言えるが,与那国語では3項述語文(「与える」など)では受益者項(与格)が尊敬語化をコントロールする場合がある。つまり,日琉諸方言でよく使われる尊敬語化という統語的振る舞いにおいても,意味役割・格標示が深く関与している。

 文法関係の見出しやすさの違いは,意味役割の抽象化の度合いの違いであるとも言える。すなわち,意味役割を超えて,一群の名詞句が同じように格標示されるようになり,またそれらの一群の名詞句が同じ統語的振る舞いをするようになると,1つの文法関係に完全に収束する。しかし,言語や方言によっては,意味役割と格標示の結びつきが強かったり,統語的振る舞いがある種の意味役割と強く結びついていたりして,明確な文法関係を定めにくい場合もあるのである。

プロトタイプとしての文法関係

 すでに述べたように,文法関係は,意味役割・格標示・統語的振る舞いの収束の度合いによって,その見出しやすさが決まるから,個別方言を記述している時,主語や目的語を認定するシンプルな必要十分条件を見出すことはできないことが多い。標準語の主語の認定に関していえば,尊敬語化のコントロールや,上記では触れていないが再帰代名詞のコントロールなどが必要十分条件のように見なされることはあるが,無生物主語に対してはこの基準がそもそも適用できないし,しかも,この基準自体が揺れることがある。例えば,再帰代名詞のコントロールについては,久野(1973)の「視点制約」をはじめ,多くの例外が知られる。

 むしろ,「主語らしさ」を決めるいくつかの基準を定め,それを満たすほど典型的な主語である,と考えたほうが,経験的事実を適切に捉えている可能性が高い。主語については,①「主格で標示される」,②「動作主である」,③「尊敬語化をコントロールする」,④「再帰代名詞をコントロールする」などの基準を立て,「先生が自分の娘をお褒めになった」における「先生」は全て満たすので典型的な主語であると認定する。一方,「先生が学生に自分の意見を言わせた」における「先生」は②④を満たさないのでその分,典型的な主語らしくなくなる。

 以下では,標準語を例に,目的語の認定についても,プロトタイプ的な解決法が有効であることをみる。

目的語

 自動詞文と他動詞文の違いは,目的語を持つか否かである。この意味での目的語を直接目的語という。他動詞文と複他動詞文の違いは,後者が間接目的語を持つと言う点である。間接目的語は,多くの方言で与格あるいは方向格で標示され,その意味役割は受益者・目標である。つまり,間接目的語はその形態特徴と意味役割で同定することが容易である。この点で,主語や,次に述べる直接目的語と大きく異なっている。以下では,直接目的語に焦点を当て,その特徴を述べる。

目的語と意味役割

 主語と同様,直接目的語(以下,単に目的語)は様々な意味役割に対応する。目的語は,典型的には被動者(patient;対象とも)あるいはそれに類する被動的な様々な意味役割を持つのが一般的であるが,そうではない場合もある。以下の標準語の例において,(1)から(3)の下線部は一般に目的語と言われるが,意味役割はそれぞれ異なる。

 

  1. 太郎は友達を殺した。

  2. 太郎は友達を恐れた。

  3. 太郎は友達に詰め寄った。

 

(1)の「友達」は被動者である。すなわち,「太郎」によって引き起こされる動作に影響を受け,状態が変わってしまう存在である。しかし(2)はそうとは言えず,むしろ逆であり,心的な影響を受けるのは「太郎」の方であって,目的語「友達」は「太郎」にそのような経験を生じさせる主因である。(3)の「友達」は,どちらかといえば(1)に近いが,(1)のように状態変化を被るわけではないので,被動者と呼びにくい。

目的語と格標示

 日琉諸方言では一般に,主語に典型的な格は主格であるが,与格など別の格にも対応する。目的語も同じように,典型的な対格をとる以外に,(3)で見たように与格をとることもある。標準語において(1)から(3)の「友達」を目的語と呼ぶのは,受動文にした時に主語に転換できるという共通の統語的振る舞いがあるからである。

しかし,受動文の主語になるかどうかという統語的テストは,その適用範囲が限られる。例えば以下の(4)に見るように,標準語を始め多くの方言では対格名詞句が移動動詞の経路を表すことがあるが,(4)の「道」は受動文の主語にはならない。

 

4. 太郎は道を歩いた。

 

ここで,受動文の主語になるかどうかという統語的振る舞いを重視すると,(1)(2)(3)の「友達」は目的語で,(4)の「道」が目的語ではないということになる。しかし,文法関係を決める上で重要なもう一つの特性である形態的標示の点からは,(1)(2)(4)の下線部が目的語であると言える。形態的標示と統語的振る舞いに齟齬が見られる場合,どちらを重視すべきかという問題が,当然生じる。

目的語の認定:プロトタイプ的なアプローチ

 この問題に対する解決策は,目的語をプロトタイプ的に考えることである。すなわち,記述対象の言語における典型的な他動詞文の被動者項((1)の「友達」)を典型的な目的語であると仮定し,個別の例((2)(3)の「友達」,(4)の「道」)がどれくらい典型に類似するかを考えるのである。

 通言語的に,典型的な他動詞文は,動作主が被動者に一方的に影響を与え,その状態を変化させるような出来事を描くと考えると,(1)は標準語における典型的な他動詞文であり,(1)の「友達」は典型的な目的語である。この名詞句に特徴的な形態的標示と統語的振る舞いを注意深く観察すると,①対格標示され,②受動文の主語になり,③「〜のこと」をつけることができ(例:太郎は友達のことを殺した),④数詞を格助詞の後に置くことができる(例:太郎は友達を3人殺した)という,少なくとも4つの特徴を持つ。(2)は①②③を満たすが④を満たさない。(3)は②を満たすだけである。(4)は①④を満たす。結局,(4)の「道」を目的語とみなすかどうか,という,カテゴリカルな判断ではなく,どの程度目的語らしいかという観点で考えれば,(3)の「友達」よりは目的語らしく,(2)の「友達」よりは目的語らしくないということがわかる。

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